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2008年10月29日(水)更新

社員との公私の線引き

<質問>
部下の方とはプライベートでも親しいのでしょうか。
あまり親しくなると、仲たがいなどした場合に、プライベートの関係が
仕事にも影響を及ぼしてしまう場合があるのでは、と危惧します。
そうした仕事とプライベートの“けじめ”については
どのように線引きされていらっしゃいますか。
(明治大学商学部3年 松尾英一さん




私の場合、プライベートでは部下との付き合いはしてないですね。
なぜかというとプライベートは一人で動く方が好きという性格のせいだけのことなんですが。

でもプライベートな付き合いがないからと言って、冷たい関係にもなりません。
みんなのこと好きですから。



ところでサラリーマンの時は休みに上司とゴルフに行ったりしていましたけど、
プライベートな付き合いでも、頭の中はどこまでいっても
「部下と上司」という立場は頭に入っているもんです。

「親しき仲にも礼儀あり」ということでしょうか。



むしろそういう関係の方がお互い信頼関係が築けるし、
長くお付き合いすることができます。

私も今の会社を運営するまで3か所に勤めていましたが、
ある上司の方とは今でもお付き合いがあります。
ずっと長い間、こちらからお茶を送ったり、向こうから旬の果物を送っていただいたりして楽しみにしてます。


「仕事」と「プライベート」との間の「けじめ」ではなしに
むしろ「部下」と「上司」との「けじめ」をつけて、
プライベートでも積極的に付き合ってみてください。
友達とかそんなのじゃなしに、尊敬できる先輩として。

キャリアの先輩としても、人生の先輩としても
きっと学ぶことが多いはずです。


そういう仲で得られた信頼関係は、他には得られないものですよ。

2008年10月28日(火)更新

明日は「e製造業の会」様の工場見学です

会社の看板が出来上がりました。


サワダ製作所全容



引っ越してから門柱のところに弊社の社名を入れたプレートを取り付けていたのですが、弊社を訪れる方がプレートに気付かず通り過ぎていかれることもしばしばでした。

看板を取り付けて、ようやく会社らしくなったような。




明日は「e製造業の会」の皆様が工場見学に来られます。
新しくなった弊社を見ていただくと同時に、TOCの最新情報もお話できたらと思っています。

みなさまお待ち申し上げています。

2008年10月09日(木)更新

“好き”を仕事にしていますか

<質問>
現在の仕事は、社長さんの好きなもの(たとえば、趣味とか)と関係がありますか。
もし関係がないとしたら、“好き”を仕事にしなかった理由は何ですか。
(明治大学商学部3年 渡部大樹さん)




私の場合は液面計メーカーですが、残念ながら自分のプロフィール欄の趣味項目には「液面計」とは書いていません。
あんなの、でかいし、重いし、家に置いていても仕方ないですから(笑)




でもね、


仕事をする、って好きなことがそのまま仕事になれば最高だけど、必ずしもそうならないのがやっぱり仕事

必ずしも「好き」でなくて良いのではないのかな。



それよりあなたの得意なこと、って何ですか?

例えばサッカーが好きなら、サッカーのどんなことが好きですか?

相手の動きを見ること?
瞬時に動けること?
力技でボールを押し込むこと?
仲間とアイコンタクトが取れたり、阿吽の呼吸がつかめること?


僕の場合はサッカーはよく知らないけど、元々本を読むのが大好きで、おかげでものごとや事象を概念付けたり、それを言葉にするのは得意です。

それが現在の仕事に生きてます。



好きなことより、得意なことや強みに注目しましょう。



相手の動きを見るのが得意なら、仕事でもそのことを生かしてみましょう。
最初は状況が異なるから、失敗することもあるかもしれないけど、これが自分の強みなんだ、ってめげずに。


どんな人にも好きの中に得意や強みはあるはず。


得意や強みを生かせたら、仕事が出来る自分を感じます。
肌で、身体全体で。


そしたら、あとは仕事とあなたのご縁で、いつの間にか仕事そのものが好きなりますよ。

2008年10月02日(木)更新

自分の限界を乗り越えるには

<質問>
自分で引いた線(限界)を越えることができません。
経営者のみなさんは、どのように自分で引いた線(限界)を乗り越えてきたのでしょうか。
(明治大学商学部4年 大塚晴香さん)





宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読まれたことがありますか?
ジョバンニがカンパネルラと銀河鉄道に乗って旅する話です。



実はあの小説、賢治の死後、草稿の形で遺されたものなんです。
初稿は1924年ごろ、晩年の31年ころまで推敲が重ねられて、大きな改定だけでも第1次稿から第4次稿まで3回もあります。


一応の物語のはじまり方が二通り、一応の物語の終わり方も二通りあります。

特に第3稿と第4稿ではジョバンニとカンパネルラとの関係もまったく違ったものになっています。 
第4稿では二人は無二の親友のような関係なのに対して第3稿では同級生ではあっても友人ではなくて、ジョバンニが一方的にカンパネルラに対してあこがれをいだいている関係になっていて、二つの物語を読み比べると大変面白いです。


現存しているのは自筆原稿83枚だそうですが、賢治さんはどんな形で最終稿を作られたかったのでしょうね。

どんな想いを83枚の中に込めたかったのでしょう?



きっと、いろいろ書かれて、いきづまって、悩んで、推敲されてきたんだと思います。
でも物語への想いがあったからこそ、未定稿でありながらあれだけの物語が遺せて、未だに読み継がれているんだと思います。

いきづまりながらも、「想いがあること」はとても大切なことではないでしょうか?



ところで第三稿の物語ではブルカニロ博士という人物が出てきます。
彼はジョバンニに、歴史や地理というものは年代によって捉え方が異なること、そしてその感じ方はどちらの時代も間違ってはいないことを諭します。


私はこれを読んで、ものの捉え方は時代という大きな時の流れによって異なるだけではなく、小さな存在である私自身が生きていく時間の中でも、時の流れと共に変わっていくものだと感じています。

昨日よりも今日、今日よりも明日、日々新たな経験をしていく上で変わっていくものだと。

そしてモノの見方が変わることで行いも少しずつ変わっていくはずです。


賢治さんも日々の新しい経験の中で、銀河鉄道の夜を書きなおされていったのでないでしょうか?



大塚さんは何か限界をじておられるようですが、コトに行き詰った時、賢治さんのように想いを持ちつつ、日々の新たな経験と出会っていくことでモノの見方が変わったり、新しい道が見つかるように私は思っています。

そうなったとき、もうそれは限界とは言わなくて良いのではないでしょうか?