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2008年10月02日(木)更新

自分の限界を乗り越えるには

<質問>
自分で引いた線(限界)を越えることができません。
経営者のみなさんは、どのように自分で引いた線(限界)を乗り越えてきたのでしょうか。
(明治大学商学部4年 大塚晴香さん)





宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読まれたことがありますか?
ジョバンニがカンパネルラと銀河鉄道に乗って旅する話です。



実はあの小説、賢治の死後、草稿の形で遺されたものなんです。
初稿は1924年ごろ、晩年の31年ころまで推敲が重ねられて、大きな改定だけでも第1次稿から第4次稿まで3回もあります。


一応の物語のはじまり方が二通り、一応の物語の終わり方も二通りあります。

特に第3稿と第4稿ではジョバンニとカンパネルラとの関係もまったく違ったものになっています。 
第4稿では二人は無二の親友のような関係なのに対して第3稿では同級生ではあっても友人ではなくて、ジョバンニが一方的にカンパネルラに対してあこがれをいだいている関係になっていて、二つの物語を読み比べると大変面白いです。


現存しているのは自筆原稿83枚だそうですが、賢治さんはどんな形で最終稿を作られたかったのでしょうね。

どんな想いを83枚の中に込めたかったのでしょう?



きっと、いろいろ書かれて、いきづまって、悩んで、推敲されてきたんだと思います。
でも物語への想いがあったからこそ、未定稿でありながらあれだけの物語が遺せて、未だに読み継がれているんだと思います。

いきづまりながらも、「想いがあること」はとても大切なことではないでしょうか?



ところで第三稿の物語ではブルカニロ博士という人物が出てきます。
彼はジョバンニに、歴史や地理というものは年代によって捉え方が異なること、そしてその感じ方はどちらの時代も間違ってはいないことを諭します。


私はこれを読んで、ものの捉え方は時代という大きな時の流れによって異なるだけではなく、小さな存在である私自身が生きていく時間の中でも、時の流れと共に変わっていくものだと感じています。

昨日よりも今日、今日よりも明日、日々新たな経験をしていく上で変わっていくものだと。

そしてモノの見方が変わることで行いも少しずつ変わっていくはずです。


賢治さんも日々の新しい経験の中で、銀河鉄道の夜を書きなおされていったのでないでしょうか?



大塚さんは何か限界をじておられるようですが、コトに行き詰った時、賢治さんのように想いを持ちつつ、日々の新たな経験と出会っていくことでモノの見方が変わったり、新しい道が見つかるように私は思っています。

そうなったとき、もうそれは限界とは言わなくて良いのではないでしょうか?