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株式会社サワダ製作所 代表取締役 澤田 浩一 の日記です
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2007年08月21日(火)更新
よい恋愛について
<質問>
以前、ある社会人の方に、
「学生時代にしておいたほうがいいことは何ですか?」
と聞いたところ、すかさず、こう返されました。
「よい恋愛をすること!」
たしかに、マーケティングはよく恋愛に例えられたりしますが…。
そこで、質問です。
1)経営者のみなさまは、よい恋愛というものをしたことがありますか。
2)よい恋愛とは、どのようなものだと思われますか。
3)よい恋愛の経験は、経営やビジネスに役立ちますか。
(明治大学商学部 石黒美帆さん)
良い恋愛とは、彼・彼女と出会って
「本当にこの人は私に取って大事な人だ」
と思えるような恋愛だと思う。
単に自分だけのための恋愛でなく、
相手のことを考えれること、
相手がどんな価値観や想いを持って生きているのかを知ること、
そういう時間を持っているときは大抵の場合、とても苦しいし、七転八倒のような状態だけど、
そういう時間自体を持てることはめったにないことだし、
あとから考えれば幸運なことだと思います。
マーケティングが恋愛と同じかどうかは良くわからないけど、
でも恋愛をすることはビジネスにも役立ちます。
さてさて、1)の質問については・・・
もちろん、Yesです。
以前、ある社会人の方に、
「学生時代にしておいたほうがいいことは何ですか?」
と聞いたところ、すかさず、こう返されました。
「よい恋愛をすること!」
たしかに、マーケティングはよく恋愛に例えられたりしますが…。
そこで、質問です。
1)経営者のみなさまは、よい恋愛というものをしたことがありますか。
2)よい恋愛とは、どのようなものだと思われますか。
3)よい恋愛の経験は、経営やビジネスに役立ちますか。
(明治大学商学部 石黒美帆さん)
良い恋愛とは、彼・彼女と出会って
「本当にこの人は私に取って大事な人だ」
と思えるような恋愛だと思う。
単に自分だけのための恋愛でなく、
相手のことを考えれること、
相手がどんな価値観や想いを持って生きているのかを知ること、
そういう時間を持っているときは大抵の場合、とても苦しいし、七転八倒のような状態だけど、
そういう時間自体を持てることはめったにないことだし、
あとから考えれば幸運なことだと思います。
マーケティングが恋愛と同じかどうかは良くわからないけど、
でも恋愛をすることはビジネスにも役立ちます。
さてさて、1)の質問については・・・
もちろん、Yesです。
2007年08月21日(火)更新
組織作りを考える⑤ 人作りの課題(弊社の場合)
組織作りは“人作り”です。
弊社の“人作り”の課題は、経営理念のキーワード、“三位一体”の状態になるように、
経営感覚を持った管理職(スタッフ)をいかに作るか、と言うことと、
ベテランのノウハウをうまく引き継ぐこと、
この二つです。
なぜこの二つなのかは、理由があります。
私がこの会社に入ったのが7年前。
先代で創業者である父に言われて、それまで勤めていた会社をやめ、引き継ぎました。
サラリーマンの頃は総務・経理畑。
この会社の業務のことは何も知らなかったし、「水面計って何?」というところから始めています。
当時の会社はちょうど世代交代の時期で、取締役も古手の営業部長と製造部長、
製造の現場も50代が多かった。
あとは20代の若手で、ちょうど中堅がいなかった。
そんな状態でした。
実務は取締り役の二人が一生懸命動いてくださいました。
当時の取締役によく言われたのは、「自分が居る間は支えれるだけ社長のことは支えるけど、それも限界があるから自分の右腕を早く作りなさい」、ということ。
自分達がいなくなったあとのことを心配してくれていたんだと思います。
ありがたいことです。
でもスタッフを作ろうにも人材がいなかった。
だからこの会社に来てからは、ずっとこの二つが課題です。
つづく・・・
弊社の“人作り”の課題は、経営理念のキーワード、“三位一体”の状態になるように、
経営感覚を持った管理職(スタッフ)をいかに作るか、と言うことと、
ベテランのノウハウをうまく引き継ぐこと、
この二つです。
なぜこの二つなのかは、理由があります。
私がこの会社に入ったのが7年前。
先代で創業者である父に言われて、それまで勤めていた会社をやめ、引き継ぎました。
サラリーマンの頃は総務・経理畑。
この会社の業務のことは何も知らなかったし、「水面計って何?」というところから始めています。
当時の会社はちょうど世代交代の時期で、取締役も古手の営業部長と製造部長、
製造の現場も50代が多かった。
あとは20代の若手で、ちょうど中堅がいなかった。
そんな状態でした。
実務は取締り役の二人が一生懸命動いてくださいました。
当時の取締役によく言われたのは、「自分が居る間は支えれるだけ社長のことは支えるけど、それも限界があるから自分の右腕を早く作りなさい」、ということ。
自分達がいなくなったあとのことを心配してくれていたんだと思います。
ありがたいことです。
でもスタッフを作ろうにも人材がいなかった。
だからこの会社に来てからは、ずっとこの二つが課題です。
つづく・・・
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